フラワーデモ(東京)
フラワーデモ
2月11日、東京駅のすぐ近くで執り行われた「フラワーデモ」に参加してきました。
フラワーデモとは、主に刑法改正を目指した、性被害の根絶を願うデモ。
デモ、と言っても行列を作ったり拳を振り上げて叫んだりすることはなく、街の灯りが減った夜の時間帯に花を携えて集まった人たちが、ただただ静かに、性被害に遭った女性たちのその苦しい経験や胸の内の語りに耳を傾ける。
フラワーデモとはそういう場でした。
子宮ヒーリングをしているので、性被害や虐待を受けた方とお話しする機会も少なからずあり、最近の性被害や虐待、セクハラのニュースを見るにつけ刑法のあり方に疑問を感じることもあったので、いつも頭の片隅で男女の違いや在り方、性の持つ不思議さ、性がもたらす悲しみ…さまざまなことを考え続けているのですが、このデモに参加をしてみて感じたことのひとつに、私には知らないことが多過ぎる、もっと勉強しなければ…ということがありました。
以前私は、これはB級ドラマか?!と言いたくなるくらい、あっと驚くたくさんのセクハラがまかり通っていた職場にいたことがあって、そのときに正論がまったく通用しない男性社会の縮図を体験しているので思うんですが、今の日本の社会に正面から束になって「これが女性の総論だ」とぶつけても響かないどころか無視されていると感じてしまうような悲しい現実ってあると思うのです。
スウェーデンは日本より法整備が進んでいるという話がこのデモの際に出たけれど、果たして風俗がないと言われているスウェーデンとセックスワーカーがいる日本、セックスフリーのスウェーデンと保守的な女性を良しとする日本…背景があまりに違う国と比較することに無理がないだろうか?と考えてしまう…
じゃぁ、どうしたらいいのだろう、といった肝心なところで私の頭の中はさまざまな思いが交差し、こうなればいい、ああなればいいというような単純な正解を導き出すことがとても難しいと感じます。
まずは知ることから。
そういった意味でもこのデモは画期的な試みであると思います。裁判の傍聴なども機会を見つけて行ってみようかな、と思いました。
東京の真ん中でマイクを握って実体験を話すということ。
前を向いて生きていく決意をすることにどれほど大きな力が必要だったろう。孤独との戦いがどれほどの苦しみを伴っただろう。
今もなお生々しく心と体に痛みを抱えた彼女たち、あるいは彼らが、勇気を出して客観的に、そしてひたすら冷静にマイクを握って話したその内容やことばは、その場にいた全ての人の心を何らかの形で揺さぶっただろうし、見知らぬ誰かの孤独を救い、生きることへの刺激を与えただろうと思います。
強い痛みを言葉にしたことが、傷が癒されほどけていくキッカケとなりますように。
そして、全ての人に、安心に満ちた時間が増えていきますように。
次回のデモは3月8日だそうです。
追加
こんな記事を見つけました。映画が社会を変える。こういうの、嬉しいですね。
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