幸せのバージョンはいっぱいある!
チャクラの続きの前に今日は別のおはなしを。
これだけは叶えたい、という願い
「どんな我儘ももう言わないから、だから、どうか、どうかこれだけは叶えて欲しい!」という思い、若しくは願い。
そういった思いを抱くこと、或いは神様にそんなお願いをしたことが、大なり小なりどんな人でも覚えがあるのではないかなー、と思います。
ですが、その願いを叶えたいと思う気持ちがあまりに強過ぎると“弊害”もあるよ、というはなしを今日はしたいと思います。
その理由は三つあります。
ひとつは、思いが強いために「叶わなかったらどうしよう」という不安が、願いと同じだけ強くなるということ。そっちを叶えちゃうというパターン。いやーん(ToT)
不安が叶っちゃう、というと語弊があると言いますか、ほんとうはちょっぴり違うのだけれど、エネルギーは意識を向けたところへ流れていくというのはほんとうで、そうすると不安が軸の行動になりがちに。それはエネルギーの浪費でもあるのです。
そして二つ目。
自分の頭の中で思い描く幸せな妄想でいっぱいになり過ぎてしまって、「それ以外の幸せなんて考えられないし、考えたくもない!」となるのは、勿体ないですし、残念なことであるということです。
自分の知っている範囲で思い描けることって、誰でも案外狭いものです。極端なことを言えば、幼稚園児が「ようちえんの先生になりたい」と思うように・・・そのために、想像もしてなかったギフトが用意されていても受け取れないということが起こります。
そしてこれは、この願いの話に関わらず言えることなので、ついでに言ってしまうと(実はここがキモだったりします・:*:・(*´艸`*)・:*:・)
強い思いほど、強い悲しみや怒りの中にあるときほど、そこには、必ず、強い思い込みが潜んでいます。ほぼ、間違いなく、“必ず”です。
そこに気付けたら、そのときは意識を拡げるチャンスに変わります。
最後のひとつは、魂の願い、とも思える「その思いから離れることが課題」ということがあります。
まじか∑(゚Д゚)!と思うけど、リーディングしているとそういう方を見かけます。
そして、その思いから離れるという努力が実ったとき(課題をクリアーしたとき)に、思ってもみなかった方向からその願いが叶っちゃった!ということも。
不妊治療していたけれど、やめたとたんに赤ちゃんを授かった、という話をたまに聞きますよね。
これってでも、人としての成長におけるコアな課題だろうと思っています。ここを抜けると人は大きくステップアップするからです。
だから、
ぎゅーーっとした願いごとを少し緩めて欲しいのです。たくさんある可能性を狭めないで欲しいのです。
因みに、私には子供がいません。
欲しかったときもあったし、不妊治療をしたこともあります。今でも妊婦さん見たら「わ〜!」と心が躍りますし、同時に「いいな〜」と思います。幸せ妊婦さん、憧れます。小さな子どもを見ればつい目で追っているということもあります。
けれど、それが叶わなかった今、不幸せなのかな?というとそんなこともなくって、また違った幸せのカタチを味わっています。
どうして人並みの家族を持てないのだろう、女として子どもを産めないって悲しい、と感じたこともあったけれど、どんな人生が素敵かだなんて、人と比べることでもなければ、自分で決めつけることでもないし、誰にもはかることなんてできない。わからないことです。
幸せのバージョンはいっぱいあります。誰かと同じにならなくてもいいし、そもそも同じにはきっとならない。
究極、人は好奇心を失わずにいたら大丈夫と思います。
好奇心を見失いそうになったり、心配の渦に巻き込まれそうになったら人を頼りましょうね。好きな小説や映画や絵画でもいいし、歌でもいいです。
自分の中に新しい風を呼び込んでください。新しい時代を生きていくために。
「令和」、綺麗な響きですね。
さて。写真はわたしのいつものご飯です。飽きずに毎日酵素玄米食べています。始めたのは5年くらい前かな。
おかずは少しのお野菜と梅干しとみそ汁でいいと教わったけれど、それだけじゃ寂しいよ・・・とおかずもモリモリ食べていたら見事に太りまして(笑)。なので、↓こんな食事を続けています。玄米ジプシー続けていたけれど、やっと自分たちに合う玄米を5年にして見つけまして毎日が美味しい。青森のご飯。お米が美味しいとしあわせです。農家の皆さん、ありがとう。ありがとう。