「いのち」って何?と聞かれたら
命の意味
子どもに「命ってなぁに?」と聞かれたらどう答えますか?
私は、105歳で亡くなられた、聖路加病院の日野原先生が講演で子どもたちに「命とはあなたが持っている時間のことです」とおっしゃていたのをテレビで見たことがあって、とても印象的だったのを思い出します。
命について、wikiから抜粋。
なかなか興味深いです。
命(いのち)とは、多様で奥深い意味を持つ概念であり、生物の生きる力や期間、生きていく大もとの外に現れる働きのもと。「唯一のよりどころとなる、最も大切なもの」という象徴的な意味もある(例:このラーメンはスープが命だ)。人間の命は特に人命と呼ばれることがあり、人命は第一に守られるべき(最も尊ばれるべき)であるという社会的通念がある。
生きていくおおもとの外に現れる働きのもと…わかるような、わからないような(笑)。一般的な説明の他に、旧約聖書においての命の概念もあって、
命は血と同義である。命は、必ずしも人ひとりの寿命の限りではない。「あなた(אותך)をますます増やす」という記述のとおり、子孫が繋がっている間は命が継続していて断たれていないという概念である。
与えられた時間を短くしてしまうことや長くすることって、もしかしたら少しは自分勝手にできるのかもしれないけれど、時間は誰にとっても一方通行であり、それはおぎゃぁと生まれて、いつか必ず死を迎えるということ…。命は血だ、というのであれば、想いや願いが別の命に引き継がれていく場合もあるのでしょう。
先行く命、残された命、、、命という言葉ひとつで、私の頭の中はいろんな思いが広がっていきます。
この時間の流れの中で、私たちは何度も心を痛めて折れそうになるし、その度に流れが止まったように感じたり、あたかも逆流しているように感じたりして、“わたし”という存在を“わたし”自身が見縊り、心細く思うことがあります。
時間が硬直したように感じるときって、きっと、力を溜めているときでもあるのでしょうし、だから、落ち込む時間はあっていいし、むしろ、あった方が良いのかもしれなくって、それは何故かといえば、そこから立ち上がるという過程の中に命の妙というか、巧妙さ、みたいなものがあるからです。
そして、 “わたし”という命をそれでも生きていく、と決心した人の心の変化は、見ていて清々しく美しいから。
ヒーリングにいらしてくれる皆さんには、その決意みたいなものが必ず見て取れます。
ヒーリングを受けることって、一見、他力本願のように見えるかもしれないけれど、はっきり言ってしまいましょう・:*:・
自分自身を生きることに対する100%能動的な行為です。
私たちはつながっている
最近、こんな本を見つけました。
「正しい親も、正しい家族も、きっとそんなものはない」
こんな言葉で始まります。生まれつき生理と排卵がないという「私」が、いろいろな“命”の在り方をインタビューしたものが、簡潔に、そして愛情深く綴られています。「私」自身のエッセイもあります。
幼くして母になった女性や、不妊、血の繋がらない子を持つ母の姿や、トランスジェンダー…
いろんな生き方や考え方があって、そこには正解も不正解もなく、さまざまな人とのさまざまな繋がりの中で、「私は私に生まれてよかった」と思えることの、幸福さというか、快活な“命”の輝きがたくさん書かれている本でした。
おすすめです♪