「変わりたい」と「変われない、変わりたくない」
変わりたい
セッションを受けようと思うきっかけはこちらなんじゃないかなー、と思います。
現状を打破したい、突破口を見つけたい、変化を起こしたい。
変わりたい。
けれども、セッションをすると、その奥にある「変われない」「変わりたくない」という感情を見ることがあります。
変われない、変わりたくない
それは「変化を起こしたい、変わりたい」という心境に嘘があるわけでは決してなく、ひとつには、どんな状況であったとしても、その環境に馴染んでしまっている自分がいる、ということがあります。
今ある状況とサヨナラを決めなければならない瞬間があります。でもその瞬間の一歩手前でウロウロしてしまう。
たとえば、今の仕事を辞めたいって思ってるのに辞めなくてもいい理由を探してしまう。こんな生活は続かない、って知っているのに。そして、そうこうしているうちに、正直な身体が「もう無理だ」と悲鳴をあげる。いよいよ、辞めなければならくなっても…でもまだ勇気が持てない。
たとえば、もう別れるしかないのだろうな、と知りつつも何となく続けている恋愛…など。
変われない、変わりたくない。
他にも「変わりたくない」理由はあって、それは「そんなに簡単に変わってなるものか!」という心理。
たくさん悩んで戦って、そして今も戦っていて。だから、そんなに簡単に手放せるとは思ってないし、そもそもどうして私が変わらなきゃならないの?と頑なにその苦しい場に居続けてしまう。
あと、楽しい状況から離れたくない!というのもあります。これは、執着となり得ると考えてます。
これら全ての「変われない、変わりたくない」は「執着」と「抵抗」です。だけれども表向きは「変わりたい」とも思っているので、よくわからない葛藤が心に痛みを与えます。
変われないものなどない
それは、諸行無常なるがゆえに、私たちは変わっていく生きものだからです。
永遠があるとするならば、それは「変化を起こし続ける」ということに他ならなく、それならば、自分の望む方へ変化していきたいと私は思う。
それが“心の自由”だと思うからなのですが、心の自由というのは、誰かから与えられるものではないし、もしかしたらそれは孤独と隣り合わせなのかもしれないと思うときもあって、ゆえに、先の見えないその一歩はほんとうに怖いけれど、変わっていこうと決めてしまえば、状況は必ず動いていきます。
時間は容赦なく私たちの肉体の命を減らしていく。あぁ、だからこそ身体って正直なのかもしれないなぁ・・・。
今年は短い期間のうちに、3回も葬儀に行ったので、いつもよりもずっと余計に「命」のことを考えてしまっている私ですが(「いのち」と題したブログが続いていたのもこのためか…と後から気づく^^;)、こういう経験をするときといというのは、生きることに消極的になっているときで、「生きろ」ということなんだ、と教えてくれた人がいて。
生きなくちゃ、私の命を生きなくっちゃ、と深く深く感じたのでした。
空海のいう「この世の極楽」というのは変化に伴う抵抗や執着を乗り越えた先にあるのではないかな、、と思います。
その先にある目的と楽しみに心が踊り、未来に優しい思いを馳せられるようなヒーリングになればいいな、と、いつも思ってます(壮大だな、おい(≧∇≦))。
そのために、「抵抗」「執着」そして「恐れ」を無理なくほどいていきますよ!
生きているうちに、できること。
生きているうちにしか、できないこと。
秋の夜長、好きな本を片手にそんなことに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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